親が“与えすぎる”という恐怖
私は、「子どもが欲しがるものは何でも与える」というスタンスではありません。
“簡単に手に入る”ことが当たり前になる事はリスクだと思ってしまうからです。
先日、こんなことがありました
自分でおぺりちゃんが、読まなくなった本などの要らないものを売って、なんとか稼いだ1000円がありました。
その1000円で買ったのが、筆箱。
一方で、人から買ってもらったドロップシールもありました。
私は何気なく聞いてみました。
「どっちが嬉しかった?」
答えは即答でした。
「断然、筆箱。」
なぜ“筆箱”だったのか
確かにドロップシールは嬉しかったし、今は手に入らないし値段も高い。周りの子も持っている。だから嬉しいのは当然です。
でも筆箱は、
- 自分で考えて
- 自分で選んで
- 自分で稼いだお金で買った
もの。
そこには、お金以上に、時間も、努力も、葛藤も、誇りも入っていました。
与えすぎることの怖さ
親はつい、
- かわいそうだから
- 周りが持っているから
- 頑張っているから
という理由で、与えたくなります。
でもそれを続けると、
「欲しい」=「すぐ手に入る」
が当たり前になってしまう。
努力と報酬が切り離される。
これが一番怖いと感じています。
小学校受験で感じたことと、同じだった
小学校受験の世界でも、似た場面をたくさん見てきました。
親が先回りして、答えを教えて、失敗させない。
一見、優しい。効率的。
でも本番で伸びる子は、「自分で考える経験」を積んでいる子でした。
物も同じで、親が与えすぎると、子どもが“自分で努力する感覚”を持つ機会が減ってしまう。
筆箱の話は、それを改めて思い出させてくれました。
本当に与えたいもの
私が子どもに与えたいのは、物そのものよりも、
- 我慢する経験
- 選ぶ経験
- 工夫して手に入れる経験
- 誇りを感じる経験
こういう“心の経験”です。
1000円の筆箱は、きっと大事にするし記憶に残る。
親の覚悟
与えるのは簡単です。
でも、与えない勇気の方が難しい。
私はこれからも、「なんでも与える親」ではなく、
「考えさせる親」でいたい。
それが、子どもを強くすると信じているからです。
